ぱん、ぱん、ぱん
温い風に、白い煙を巻き散らかす。本当は、真下を歩いていく恋人たちの上に、丁度ガトーショコラの上に振り掛ける粉砂糖の如く巻き散らかしたかったのだけれど、そういうわけにもいかない。風は時々薄紅色の花びらを乗せて、常に目の前を横に通り過ぎていく。
黒板消しを置いて、窓を閉める。両手にはめるように装着していたので、そのままでは窓を閉めることができなかった。ふと、スカートに、チョークの白い粉が付いているのに気が付いて私は萎える。ついこの前、春休みの時にクリーニングに出したばかりだというのに。
春っていうのは、どうも苦手だ。大好きな人とか、せっかく関係を築きあえた人たちと、あっけなく別れてしまうのに、すぐに新しくいろんな人と出会って最初からやり直さなくてはならない。周りの環境は大きく変わって、確実に時の流れも感じるのに、自分自身はなにも変化していないのだ。毎年毎年、あの綺麗な薄紅色の映える通学路を歩くたびに、何も変化がないまま再びこの道を歩いてしまったと、なんともいえない憂鬱間に包まれる。
結局今年もそうだった。クラス替えがあって、担任の教師も、教室も、机も、友達もがらりと変わったのに、私は冬から変わっていない。
私にはなにも起こらない。
「くくっ」
黒板を拭くために流しまで行って雑巾を湿らして戻ってきたら、帰り支度を置きっぱなしになっている私の座席に、彼はいた。本人を前にして悪びれることもなく堂々と私の席に座って、さっき書き終えたばかりの日直日誌を手に一人で笑っている。
彼、跡部くんは今年からのクラスメートだ。
「あの…」
「…」
「あの、跡部くん」
「おいお前、これはなんだよ」
「はい?」
跡部くんは、私の呼びかけをスルーして、質問を返してきた。手に日誌を持って私が書いたページを開いてこちらに向けている。そこの左ページには、今日の日付、天気、時間割と授業の内容が書いてある。多分跡部くんが訊きたいのは右ページの「その他の出来事・感想」の欄のことだろう。跡部くんは、大人びた綺麗な顔に、なにか物凄くいじくりがいのあるおもちゃを見つけた子供のような眼で私を見ている。
「『特になし』ってことだけど?」
「それだけじゃねえだろ。なんだよこの『色々あると思いますが、私には特になし』って」
「同じことでしょ」
「こんなもんに皮肉ったって、なにも起きねえよ」
「…」
「まるで何か起こってほしくて仕方ねえって感じだな」
見事に正鵠を得たことを言われてしまって、私は赤面した。跡部くんは、笑っているような真顔のようなよくわからない顔で私から日誌へ視線を移す。私も、その隙にと跡部くんに背中を向けて一生懸命黒板を拭く作業に集中するフリを始めた。跡部くんがなんでここにいるのかとか、どうしてそこに座っているのかとか、なにをしているのかとか気になっていたことを訊く余裕なんて今はない。
気が付いたらいい訳するみたいに言葉がぽろぽろ零れ出ていた。
「だって…このままじゃ私置いてきぼりなんだもの」
「…」
「私はなにも変わってない。毎日ただ普通に朝起きて、夜眠って。平日は学校に行って授業受けて、終わったら帰ってバイトして。休日はくだらない遊びとかして、そんなことしてても、なにも変わらないってわかってるの。わかってるけど、なにもできないのはなんでだろ。楽しくないんだよ、なにをしててもさ。高校生なんてあっという間に終わっちゃうのに」
「彼氏もいないし?」
「うん。…あ、いや、それは別に」
「別にいいのかよ」
「あ…」
突然暗くなったと思ったら、すぐ後ろから声がした。跡部くんの声は、とても低くて普通に男の子とはなんか違うなあと前から思っていたけれど、こう至近距離で聴くと本当にどきりとする。振り向こうかとも思ったけれど、今ここで向き直ったらものすごい近くで向かい合わなくてはならない気がして、それは勘弁だと留まった。ところで跡部くんはいったいなんの用がいうのだ。
「お前は変わりたいんだろう」
「そうだ、けど」
「俺が変えてやるよ」
「そう…ん、あれ、え?」
「俺が、そんな退屈な世界をぶっ壊してやるって言ってんだ」
思わず振り返ってしまった。跡部くんは、透き通った真っ直ぐな眼で、今まで見たこともないような真面目な面持。私はというと、彼の言った言葉がどういう意味を持つのか理解しきれず、でもそれってもしかしてこういうことなんじゃないか、なんて有り得ないことを浮かべては掻き消す、というのを頭の中で一瞬にして壊れたように何度も繰り返していた。頭の中でバグが発生しているように口をぱくぱくすることしかできない私を見て、跡部くんはふっと笑った。それは、今まで何度も遠くから見とれていた彼のどんな表情よりも魅力的で、鬱々としていた私の世界はもう、今まで悩んでいたのが馬鹿らしく思えるくらい簡単に、そしてあっという間に変わってしまったのだ。
「お前が好きだ、」
2012/08/13 |